福島、復興の道をゆく

福島の静かなツーリング

ツーリングの行き先に今回は福島を選びました。
どこをどのように走れるのかは実際に現地へ行ってみないとわからない部分もあったので、余裕を持ったスケジュールで出かけました。

福島入りしたあとは国道をひた走り、周囲に目を向けながらのツーリングとなりました。
周囲にはほとんど車両の姿がありません。

いつものツーリングでこのような状況ならば、穴場を見つけたと喜ぶか、すいているタイミングに訪れることができてラッキーだと考えるものですが、さすがに今回はそのようなことは思いもしませんでした。
福島の道が空いている理由は明白です。
2011年の3月11日をもって、このような状況になったのです。

東日本大震災は多くの人の人生を変えてしまいましたが、この福島に住んでいる人たちほど人生が大きく変わって人もそうそういないのではないでしょうか。
街そのものが警戒エリアになっていて、まともに立ち入ることができない場所もまだまだありました。
ネットで見た情報では通れるとなっていたルートが実際に現地へ行ってみると通れなかったケースもありました。
このようなことが予測できたので余裕を持ったスケジュールを組んで現地へ向かったので自分としてはまったく問題がなかったのですが、やはりまだまだ復興と呼ぶには程遠い状況があるのだと思い知らされました。

今も震災の爪痕が残る現地

普段、自分が住んでいる場所では震災などなかったかのように明るい街並みがあります。
多くの人や車が行きかい、お店にあかりが灯って、楽しげな会話も聞こえてきます。
しかし、バイクで走った福島は、そのような状況とは真逆の状況にあったのです。

もちろん、復興がまったく進んでいないなどと言うつもりはありません。
ネットでは通れないとされていたルートが開通していたりと、徐々に昔の状況に戻っている箇所も見つけることができたからです。
また、新しい建物でお店を営業していたりと、震災から立ち上がって新たな生活をおこなっている人もたくさんいました。

途中で立ち寄ったお店などでは、ほかにお客さんがいなかったこともあって店主の方とも話ができました。
それまで顔見知りだった人の多くが福島から出て行ってしまい、知り合いや友人と呼べる人がほとんどおらず、寂しさもあると語ってくれました。
しかし、このご主人は、多くの人がいつか戻ってきたときに食堂のひとつもないと困るし、復興のために働く方々や福島にお金を落とそうとやってくる自分のような観光客のためにも食事ができる場所は必要だと考えて、食堂をがんばって営業していると話してくれました。

何も言えませんでしたが、自分にできることはまた来ることだと思っています。
だから、福島にはまたバイクで行きます。