武田信玄ゆかりの地巡り

武田信玄の興隆を感じる甲府をバイクで走る

武田信玄といえば言わずと知れた著名な武人、歴史の舞台でもたびたび登場しますし、映画、ドラマでも登場する人格ある武人として知られている方です。

甲州街道から武田氏が滅亡して建てられたという舞鶴城の石垣を見学、天守閣のあった天主台からは甲府を一望できるような景色で、富士山まできれいに見えます。

甲府城の天守台から富士山を眺めて甲府駅から北に走り武田神社に向かいます。
武田神社の境内にある躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)には武田氏の館跡が残されています。

城を築くこともなく堀を巡らせ土塁で囲んだ館を甲州支配の拠点としていたというこの武田の館は、人は石垣、人は城という名言を残した武田氏らしい館です。

この武田神社の境内には武田氏の疾如風徐如林侵掠如火不動如山の軍旗、風林火山が今も風にはためき、戦国自体の様子が目に見えるような気がします。

甲州街道で武田軍の最後を感じる

甲府駅前にも武田信玄像が世を見据えるように存在しています。
甲府駅前から甲州街道の後編となる甲府から下諏訪へ、国道52号から国道20号、宿場町韮崎宿に向かいます。

韮崎宿に近づくと美しく雄大な南アルプスの山々がそびえ、ぐっと迫ってくるような圧迫感があります。
せっかくなので旧道で韮崎宿へ向かい、旧街道を色濃く感じさせるお醤油や味噌、麹の醸造元を見学、建物も美しく旧街道というイメージが非常に強いです。

韮崎宿から武田の里、新府城跡に向かいます。
武田の里は武田氏発祥の地、韮崎から釜無川の対岸にあり、この中心に武田八幡宮があります。
この本殿は武田信玄公が再建したものとされています。

韮崎から県道17号で河岸段丘、七里岩上に向かうとここに大規模な城跡があり、本丸には武藤稲荷神社がお祀りされています。

小田と徳川の連合軍に責め立てられた武田軍は、この新府城に立てこもり応戦する作戦でしたが、その願いかなわず、笹子峠に近い天目山で散る事になりました。
つまりここが、武田軍最後の土地ということになります。

本陣跡と常夜灯を見学、信玄餅を頂く

国道20号を走り台ヶ原宿に向かい、ここに当時の宿場がそのまま残ったような本陣跡、常夜灯をみることができます。

この宿場には有名な地酒の蔵元があり、大きな杉玉が目印となっています。
その近くにあるのが信玄餅の元祖と呼ばれるお店、信玄ゆかりの地で信玄餅を頂くと、戦国時代の武田信玄を何となく近く感じるような気持ちになります。

台ヶ原宿から国道20号へ、そこから道の駅はくしゅうに行くと、そこから甲斐駒ケ岳をみることができます。
次の教来石宿は下教来石、上経来石と別れているのですが、いずれも国道20号を右手に入った旧道にあります。

この旧道をみつけながら入っていくツーリングも楽しいものです。
日本武尊が座った石ということに由来し、経来石という地名が付いたと言われています。
その昔信州との国境だった場所値には山口関跡があり、当時国境警備が強固に行われていた宿場だったとされています。

国道20号、甲州から信州に入り最初の蔦木宿には道祖神が祀られ、案内板に本陣や脇本陣のほか、旅籠や問屋場、駄馬などがどのくらい存在したかなどが書かれています。

小さな風情ある風景が見られるこの場所は、当時の風情が色濃く残され、非常に雰囲気のいい里というイメージです。

ここから富士見峠を超えて甲州街道最後の峠越えを済ませると金沢宿に到着します。
ここには金沢温泉があり温泉の名前に武田の金山である金鶏金山からくる金鶏の湯があります。

武田信玄は鉱山師としても著名な武人で、国道411号、柳沢峠近くの黒川金山等も有名ですが、その他に沢山の金山を開発したといわれています。

この近眼は豊富な軍資金となり、武田軍の大きな力となったといわれ、武田軍が甲州街道を当時、牛耳っていたということもよくわかります。

諏訪盆地に入ると銘酒の蔵元が多く存在するので、ここでお土産を購入してもいいかと思います。